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お直ししないという究極のお直し哲学 | 洋服のお直しを『引き受けない美学』とは
ある日の受付風景をエッセイ風に綴りました。
初来店の緊張の共有
ご予約のお客様がいらっしゃった。 作業の手を止めて、受付台に向かった。 背の高いほっそりした女性のお客様だ。 キャップが良くお似合いでおしゃれな印象だった。 緊張した面持ちで入って来られたので、 「ご予約の○○様ですね?」と、お伺いすると にっこり笑って「はい、そうです。」とこちらに歩み寄られた。
初めてのお店というのはどんな業種であれ、どうにも緊張するものだ。 私も初めていく右も左もわからない場所では、どういう風に行動すればいいのか戸惑い、非常に緊張する。 後になって思えば、お客様も同じような気持ちで訪ねて来て下さったのかもしれない。
禅に学ぶ問診票
カウンセリング前には、少しお時間をいただいて問診票のご記入をお願いしている。 細かな質問があちこちに散らばってしまうのを防止するのと おおよその悩みを言語化して頂いた方が確認しやすいためでもあるのだが
以前私が読んだ本に書いていた内容に、 『書く作業』というものは、気持ちを落ち着かせることに一役買っているとの記述があった。 禅の『写経』を思い浮かべていただくと、わかりやすいかもしれない。
具体的に洋服のどこをどうしたいのかなど、言語化する作業によって、 初めて会う店主に何を伝えたいのかが、お客様ご自身ではっきりと見えてくるのではないだろうか。 記入し終わったら、声をかけてくださいとお伝えして 書き終わるのを待った。
カウンセリングでわかる理想と現実のギャップ
ほどなくして、「すみませ~ん」と呼ばれたので 受付台に戻り、問診票を受け取って項目を順番に目で追った。
納品のご希望日は2月中となっていたので 「お日にちの方は大丈夫そうですね?」 と確認したところ 「3月の卒園式に間に合えばいいので」 とのこと。どうやらセレモニー用のお洋服らしい。
『ツイードベアロンパース』というお洋服で 一見するとパンツに見えるモダンなデザインのお洋服だった。
お悩みは、とにかくパンツの幅が太くて お子様にもあまり受けが良くなかったとのことで どうにかならないだろうか、とご相談にみえた。 Mサイズを購入したかったけれど、残念ながらLサイズしか在庫がなく 「仕方ないか。」と、注文したものの届いてみたら、思いの外大きすぎてがっかりしてしまったのだそう。
今回のご相談のような全体的に大きなパンツを、幅で細く調整する場合、 渡り幅(太もも)から裾まで細くしなければならない。 元々ワイドなデザインに加えてワンサイズ大きいので裾幅だけを細くしても 全体的な大きさの解決にはつながらないからだ。
前後左右の股中心(縫い合わせの中心)をほどいて 渡り幅(太もも)から裾に向かって補正をするので かなり大掛かりなお直しになる。 そうなると、工賃も結構かかってしまうためご予算内での補正は難しい。
パンツの構造学:スカート原型から生まれるシルエットの秘密
お客様から、 「元々はロンパースタイプではなく ワンピースタイプを購入したかったんですけど 売り切れていたので、仕方なくロンパースにしたんです。 パンツ部分をスカートにできませんか?」 とのご提案を頂いた。
こういうレディースパンツはスカートのパターン(型紙)から作られることが多い。 男性と女性では骨盤の形状が違うため当然パターンの引き方も違ってくる。 男性のようなパンツの型紙よりもレディースパンツの場合は スカート原型をアレンジした方がシルエットのきれいな洋服が出来上がるからだ。
話は少し逸れてしまったが パンツであってもスカートに補正し直すことは可能だ。
今回のお洋服の場合、フロントファスナーのデザインなので スカートに作り替えるならば、フロントセンターのラインを直線に引き直す必要がある。 そのためにはファスナー部分全部をほどいて、ストレートなラインに修正したのち 再びファスナーを付け戻さないといけなくなる。
なぜそんな手間が必要かというと股ぐりのカーブが残ったまま無理やり縫い合わせてしまうと カーブの所が山のようにポコッとしてスカートとしての見栄えが非常に悪くなってしまうからだ。
見た目が美しくないと、おそらく気になって着用していられないだろう。 全く気にしないという方もいらっしゃるかもしれないが、 自分自身、不具合が気になるたちなので、やはり人にはおすすめできない。
なぜお直し屋が、お直しを断るのか?
一通り説明を差し上げたところ 「新規で購入した方がいいでしょうか?」 とのご質問があった。
サイズとデザインの2つを妥協して購入されたとのことなので さらに妥協を重ねてお直しするよりも、式までまだ日にちの猶予もあることも踏まえて、 新規で気に入ったものを購入し直した方がいいのではないかとの見解をお伝えした。
卒園式という特別なセレモニーに出席するためのお洋服なら やはり妥協を重ねるよりも、気に入った洋服の着用を勧めたいという気持ちがあったので、 大切な思い出に花を添えるには新規購入の方が断然いいと思った。
妥協なく臨むセレモニー
そうお伝えすると 「やっぱり、新しいものを購入します」 と納得されたような晴れやかな表情でのお返事だった。 と、すぐに「すみません。せっかくお時間を割いていただいたのに、何も注文しなくて…」 と申し訳なさそうにおっしゃった。
「いえ、全然かまいませんよ。こちらもお客様がどんな悩みをお持ちなのか 教えていただく機会ですし、とても勉強になりますので助かります。」 と、お伝えした。
美辞麗句に聞こえるかもしれないが、こういう仕事に携わっていると、洋裁をしない方がどんなことでお困りなのかというのは正直、聞いてみないとわからないことも多い。 「本当にすみません」と恐縮しきりのご様子だった。 今日のお話をHPに書かせてください。とお願いしたところご快諾を頂いた。
実際、洋服のデザインは多様にあり(特にレディース衣料)、 お客様一人一人、困り事や悩み事の内容も多種多様だ。 そしてカウンセリングで最適解を導き出すルートも条件によって無限大にある。
お客様の悩み事を解消する場所でありたいという哲学
仕立て直し業は「洋服を修繕・補正する」ということに目が向きがちだし、 持ち込まれたからには「直さなければ!」と使命感に燃えるお店も多い。
しかし、今回のように直さない選択肢を提案することもお直し業の大切な仕事の一部ではないだろうか。 いつもお客様にとっての最適解にたどり着くようなカウンセリングを心掛けている。 そして、この記事が別のお客様の目に触れ、悩み事を解決する手助けになればいいと思う。
「先ほどのエピソードをどんな風にまとめようか?」などと考えながら、 作業の続きをするために、またミシンの前に座った。

