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一枚のデニムが私に教えてくれたこと
「開店前のサプライズ」
メールや本日納品のチェックなど開店前のいつものルーチンをこなしていた時だった。
不意にドアがコンコンコンと控えめな音を立てた。
ドアに目をやると、申し訳なさそうに女性が会釈をしている。
私は慌てて、入口へと急いだ。
「少し早いんですが、大丈夫でしょうか?」
と、申し訳なさそうな顔をしてその女性は口を開いた。
時計を見ると開店時間の8:00ちょっと前、長針は”11″を指していた。
開店の準備はすっかり整いお客様をお迎えするのに何も問題はなかった。
私は愛想よく「大丈夫ですよ。お直しですか?」
と尋ねた。
女性は紙袋から1枚のデニムを取り出した。
「裾上げをお願いしたいんですが、できますか?」
と聞かれたので、私は
「もちろん!」という気持ちで「はい。できますよ」と答えた。
「もちろん」という言葉を省略したのは 自信ありげで嫌味に聞こえないか心配したからだ。
出来るかどうかと聞かれたのだからシンプルに「できます」とだけ答えた方が印象がいいだろうと思った。

「お急ぎなのかもしれない」
お客様は仕上がり寸法は事前に測ってきてくれていた。
ウェブサイトなどには「事前に測ってきてください」と記載しているので、裾上げの詳細についてちゃんと読んでくれているんだ、と嬉しくなった。
もちろん、お客様に聞いてみたわけではないので、お客様がサイトを見たかどうかはわからない。
けれども開店時間に来てくれるのだから、サイトにもしっかり目を通してくれているだろうと私は思ったのだ。
仕上げに使用する糸の説明や仕上がり寸法など詳細な打ち合わせを一通りこなし最後に 「仕上がり時間のご希望はございますか?」と尋ねてみた。
朝一番で持ち込むのだから、お客様はお急ぎだろうと予想が付くからだ。
すると「今日中にもらえると助かります。」という返事が返ってきた。
私は少し拍子抜けしてしまった。
1,2時間で仕上げてほしいと言われるのではないかと、構えていたのだ。
しかし納品の猶予は今日の夕方だ。
私は意気揚々と「それではお昼には仕上がりますので、いかがですか?」
と伝えると、お客様は今までの心配そうな顔と打って変わって
「そんなに早く仕上がるんですか!助かります!!」と言うとぱっと頬にバラ色が差した。
控え伝票を渡すと、お客様はよろしくお願いしますと一礼をして店を後にした。
私は素早く裾上げ作業に取り掛かった。
他のお客様の受付や納品に時間を取られると
先ほど約束した納品時間に間に合わない可能性が出てくるからだ。
裾上げ自体はそんなに時間のかかる作業ではないが 場合によっては作業ができない状態が続く時がある。
以前、時間までに仕上がらないかもしれないと時計を横目に、ひやひやしながら納品に間に合わせなければならない時があった。
綱渡りのような気持ちになるのは二度とごめんこうむりたいと思っていた。
そんな私の心持を察してくれたのか、幸い本日納品のお客様は作業中には訪ねてこなかった。
10:00になる前には仕上げのアイロンも終わり、すっかりデニムの裾上げは仕上がっていた。
納品の準備は整い、あとはお渡しの時間が来るのを待つだけである。

「最高の瞬間」
お昼を少し過ぎたころ、お客様は受け取りのために再度来店した。
朝渡した控え伝票を差し出しながら、開口一番「無理を言ってすみません」と申し訳ないような表情で彼女は言った。
彼女の申し訳なく思う気持ちを少しでも和らげたくて私は「いえいえ」と思いつく限りの笑顔で答えた。
仕上がったデニムの裾をみて彼女は「うわぁ!きれい!ありがとうございます!!」と声を弾ませ、ひまわりのような笑顔で礼を述べた。
この瞬間、私は私にとって最高の褒美をもらったような気持ちになる。
というのは、自分の仕事が人の役に立ったのだと感じる瞬間だからだ。
彼女はこの日(若しくは明日)このデニムをはいて出かけるのだろう。
私は彼女の「このデニムをはいてお出かけするプロジェクト」の手伝いができたのだ。
今、当たり前のように私はミシンの仕事をしているが、その技術が無ければ、彼女の素敵な笑顔は見ることはなかった。
それに彼女に喜んでもらえる事にも出会わなかった。
「お直し屋としての私の想い」
自分にとってはなんでもないお直し技術だが、お客様の「生活を豊かに過ごすお手伝い」ができる素晴らしい技術なのだということを 改めて見直していた。
深く頭を下げて嬉しそうにデニムを抱えて帰っていく彼女の後姿を見送りながら私はそんなことを考えていた。