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もし大切なリックオウエンスが破れた時、あなたならどうしますか?――職人が提案した「納得」という名の、もう一つの選択肢
大きな『破れ』についての見積依頼をエッセイ風に綴った後編です。 Rick Owens(リックオウエンス)の前編はこちらから
定価で20万円の洋服とのことなので、気になって 「失礼ですが、これはどこのブランドですか?」 と尋ねてみた。
「Rick Owens(リックオウエンス)です」 と教えていただいたが、全くのところ初めて聞いたブランドだった。 「知識がなくてすみません。」 と、自分が不勉強だったことを詫びた。

自分の知らない高額なブランド洋服が世の中にはまだまだたくさんあることを知って、 『井の中の蛙大海を知らず』だなと内省した。
「他のズボンでここまでビリビリになったら直さないんですけど。このズボンは穿きたいんですよ。」 困ったような顔でおっしゃった。
昨今はファストファッションの影響もあって洋服の値段は40~50年前に比べてかなり安くなった。 その影響もあってか、修繕してまで着続けようという意識を持った人は少なくなったと感じることが多い。
それでもSDGsが取り上げられるようになって 「使い捨ての洋服」から「大切に着続ける洋服」にシフトしてきた。 『地球にやさしいこと』として 今、お直しが再評価されている。
どういう方法で直すのがベストなんだろうと パックリと大きく口を開けたズボンを見ながら、しばらく考え込んでいると、 お客様が口を開いた。 「さっき聞いた店では、サイズが小さくなるって聞いたんですけどかなり小さくなりますか?」 と質問された。

小さくなるということは、おそらくさっきの店は破れたところを縫い合わせるだけのやり方を提示したのだろう。
破れたところを縫い合わせるには、そこそこ縫い代が必要になるので、今回の場合だと、破れた左側だけ3~4cm幅が狭くなる。 つまんで縫うだけの簡易な修理方法だ。
その方法が一番工賃がかからないのだが、私にとっては左右非対称な仕上がりが受容できない。 仕上がりはきれいか?と聞かれると「人それぞれの感覚による」だろう。 穴が塞がっていればOKという気持ちなら、容認できるかもしれない。
縫い代をどれぐらい取るかにもよるが、縫い合わせるだけだと強度も今一つのように感じる。 破れたのが他の場所ならまだしも、ズボンのヒップ辺りはかなり負荷がかかる。 座る時、しゃがむ時など布地が上下左右に強く引っ張られる。
スラックスの補修でも、破れたとご相談を受けるのは 後ろ中心のヒップあたりのことが多い。
それにズボンの後ろは「椅子に座った時」や「自転車にまたがってこぐ時」に摩擦で繊維がこすられて薄くなってしまいがちだ。 その薄くなりやすい箇所の修理だということも 考慮しなければならない。
経年劣化と一度裂けたという厳しい状態を考えると、 縫い合わせるは私にとっては一時しのぎに過ぎないように思えるので、お勧めするのは躊躇してしまう。
ミシン目がかなり目立ってしまうが ミシン刺しという方法がベターだと判断し「こういう方法もありますよ。」 と、見本のミシン刺しの布地を見てもらった。
小さな穴を塞いだミシン刺しのサンプルだ。 「これぐらいなら」 と、軽く返事が返ってきたので 私は慌てて、「このミシン目は破れた箇所全体になりますのでここからずっとこうなります。」 と、裂けた布地を指しながら説明した。
すると、 「えっ!?」という驚きの表情をされた。 3㎝角の見本を見てその範囲ならと誤解を与えてしまったようだ。 縦に50cm裂けているのが、2か所なので 広範囲にミシン刺しを施さなければならず、大変目立つ。 そして、かなり大掛かりな作業になるし、仕上がりを重視すると難易度も高くなる。
強度に関して言えば、縫い合わせる方法に比べるとミシン刺しのほうが上だ。 ミシン目は目立つが、裏側から別の布地を当てて補修するので布が2重になり、糸も補強の一役を買っていることになる。 とはいえ、一度裂けてしまっているので 元通りの1枚布の強度とまでは戻らないが。
コットンは経年劣化で繊維が弱くなるとすぐに裂けるようになってしまう。 ティッシュペーパーを手で割いた時、 すっと破れてしまう状態を思い浮かべていただくとわかりやすいかもしれない。
縫い合わせをおすすめしなかった理由の一つに布地の弱さがある。 そして仕上がりに関して、ミシン目は表に出ないが、 縫い合わせた線はもちろん見える。 どちらにしても50cm級の裂けは縫い合わせてもかなり目立つ。
かけつぎなら元の状態に近くなりビジュアル的には合格だろう。 しかしこの方法は、かなりの高額になるのとカジュアルウェアのコットンということで、強度に不安が残るのが難点だ。
一通り説明すると、ミシン刺しと縫い合わせのどちらがいいかと尋ねられた。 先ほどの説明で「ミシン刺しの方がいいと思う」 というニュアンスで説明してきたのだが、やはりミシン目が気になるのだろうか。 とすると、お客様の中で答えはもう決まっているのかもしれない。
しかし、決定するのはあくまでもお客様だ。 人によって許容の範囲は違うし 目立つかどうかの感覚も人それぞれなので「この方法がいいですよ。」 とお勧めすることは難しい。
最後に、強度に関する比較とサイズが小さくなるので見た目のバランスの変化についてだけ、再度説明した。
「ミシン刺しは、いくらになりますか?」 と聞かれたのでミシン刺しの料金をお伝えすると
顔が曇り、後悔の色が見えので 先ほどのお店の見積はいくらですか?と尋ねた。 すると、縫い合わせで¥7500とのことだった。
縫い合わせとミシン刺しでは難易度や作業時間も違うので ミシン刺しよりも安いのは当然のことだ。
当店でのミシン刺しは安く見積もっても縫い合わせに比べて倍の料金になる。 おそらく、さっきの店で頼めば良かった、と思われたに違いない。
なかなかお目にかかれない規模の大きな破れだったので 直してみたいと後ろ髪を引かれたが これも仕方のない事だ。
私はすぐに 「さっきのお店に頼まれますか?気にしないでください。」 と、にこやかに促した。
お客様にとってのベストを提供するのも 仕事の内だ。
老婆心ながら、 「飲みすぎには気を付けてくださいね。」 と一言を添えて送り出した。 お客様は、すみませんと一礼して自転車に乗り、 さっきの店に向かっていった。
それにしても、今日はRick Owens(リックオウエンス)というブランドを初めて知った記念日だ。 閉店時間まであと少しとなった。
PCに向かいカタカタと、早速Rick Owens(リックオウエンス)について検索した。

